四君子苑(しくんしえん)は茶苑と数寄屋造りの建物(旧北村邸)で、その由来は、菊の高貴、竹の剛直、梅の清洌、蘭の芳香を四君子と中国で讃える風習があり、その菊、竹、梅、蘭の頭の文字が「きたむら」と読めることから、その品格風格にあやかることを祈って、北村謹次郎が命名した。
四君子苑の数寄屋造りの建物は、京数寄屋の名棟梁と謳われた北村捨次郎の晩年の作品で、昭和15年に着工し昭和19年に完成した。又、昭和38年には近代数寄屋建築の泰斗・吉田五十八により母屋が近代数寄屋建築に建替えられた。
現在、次のとおり「国の登録有形文化財」となっている。
平成13年に、昭和19年建築の「表門」、「玄関・寄付(よりつき)」、「渡廊下・外腰掛」、「離れ茶席」が指定され、昭和38年建替えの「主屋」は、令和2年に追加の指定を受けた。
四君子苑は「石造物の宝庫」として知られ、多種多彩な石造美術品が約60点配置されている。その中には、嘉禎3年(1237)の刻印をもち日本最古の年銘入りと貴重視されている石燈籠、旧報恩寺形の本歌で、姿が洗練されて美しく鎌倉時代の名品とされる八角形の石燈籠、鶴の塔の通称がある古式の宝篋印塔が含まれている。 これらは鎌倉時代の作の優品で、3点とも国の重要文化財に指定されている。
四君子苑の茶室は、鴨川を隔てて大文字を正面に望む広間「看大」始め、主茶席小間「珍散蓮」などがある。
四君子苑の公開は春と秋に一定期間内部を公開している。